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最高裁判所第三小法廷 昭和56年(あ)1302号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人佐伯雄三の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、所論にかんがみ職権により判断するに、原判決の認定するところによれば、被告人は、窃盗罪で服役中逃走し、遁刑中であることが発覚するのを恐れ、かねてから義弟と同一氏名を使用して生活していたものであるところ、道路交通法違反(無免許運転)の罪を犯して警察官の取調を受けた際、右氏名を名乗り、義弟の生年月日及び本籍を告げ、右警官が前記違反についての交通事件原票を作成するにあたりその旨記載させた上、その下欄の供述書に右氏名を使用して署名した、というのである。右の事実関係のもとにおいては、仮りに右氏名がたまたまある限られた範囲において被告人を指称するものとして通用していたとしても、被告人が右供述書の作成名義を偽り、他人の名義でこれを作成したことにかわりはなく、被告人の右所為について私文書偽造罪が成立するとした原判断は相当である(最高裁昭和五四年(あ)第一六一三号同五六年四月八日第二小法廷決定・刑集三五巻三号五七頁、同昭和五五年(あ)第一三五一号同五六年四月一六日第一小法廷決定・刑集三五巻三号一〇七頁参照)。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(環昌一 横井大三 伊藤正己 寺田治郎)

弁護人佐伯雄三の上告趣意

第一点 原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認もしくは法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

有印私文書偽造、同行使罪が成立するためには、「行使の目的をもつて」「他人の署名を使用して」私文書を「偽造し」「行使」することが必要である。

形式上本名以外の名前で署名がなされたとしても、右本名以外の名前が署名者自身の通称として署名者自身を指称するものとして、社会生活上署名者自身の人格を示すものとして通用するに至つていた場合に、署名者自身があくまで自己を表象する自己の署名として本名以外の名前を使用しても「他人の」署名を使用したことにはならないと解すべきである。

「石井一明」という氏名は、原判決が摘示するとおり、本件犯行時、姫路市方面及び被告人が代表者をしていた大登建設の取引関係という範囲においては少くとも被告人を指称するものとして通用しており、被告人の社会生活は、場所的には姫路市方面に限られ大登建設の取引関係以外の社会生活関係は皆無であつたのであるから、「石井一明」という氏名は、社会生活上被告人の人格を示すものとして通用するに至つており、本件犯行の署名をするについて被告人は、石井一明という他人の署名をしたのではなく、あくまで自己を表象する自己の署名として「石井一明」を使用したものである。従つて、「他人の」署名をしたことにはならない。

署名と同時に記載された本籍及び生年月日が石井一明本人のそれであつたとしても、なおかつ石井一明という署名は被告人自身を表示するものと認められるのである。

犯行後石井一明本人を姫路簡易裁判所へ出頭させて罰金を払わせた事実は犯行完了後のことであり、それによつて犯行が罪となつたりならなかつたりするものではないから、「他人の」署名でない事実に影響しない。

また、被告人は、本件署名をするにつき警察官から名前を書けといわれたので、自己を表象する名称として「石井一明」と署名したもので、あくまで自己の文書として署名し、偽造文書を真正な文書と誤信させる目的がなかつたことが明らかであるから、「行使の目的」をもつていたということもできない。

右の次第であるから、行使罪が成立しないことも明らかである。

右のとおり、原判決は、「行使の目的をもつて」「他人の署名を使用して」私文書を「偽造し」「行使し」たと認定した点につき、重大なる事実の誤認があり、もしくは「行使の目的」「他人の署名」「偽造」「行使」の概念について法律の解釈適用を誤つた法令違反があり、いずれもその誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかでこれを破棄しなければ著しく正義に反する。

第二点〈省略〉

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